今日は病棟の患者さんを看取り寸前だった~(--)
何人の人を看取っただろう?????
看護師(准看だが)になってまもなく、
住み込みしながら学校に行かせてもらった
個人医院で看護の卵時代に初めて
往診先のおじいちゃんの看取り看護に
先輩ナースについて酸素ボンベを往診先まで
ヨイショヨシショ運んだで最期を看取ったのが最初
はじめて体験だったが怖いとも思わず
淡々死後処置をした記憶がある。
そのおじいちゃんはたしか私の実家を新築した時の
設計士のかたがお婿さんの家だった気がする。
縁とは不思議なもので 看護学生だった私は
その設計士さんがお婿さんだとはしらなかったし
向こうも私が看護の卵だともしらなかった。
たまたま風邪をひいて医院に診察に来たとき
あれ~??おたがい顔をみて驚いてしいまった~
実家を新築したのが設計士としてはたらいて初めての作品だった
と聞いた気がする。でも家をたてる時はかな~り周りの妬みが多き
かったらしく。設計士さんは大変だったらしい。それでその後の
家の設計をしたくなくなり全く違う今度は石やさん(墓石)のお婿さんになったらしい。向こうもまさか知っている人と出会うとは思わなかったらしい。よOOOとやOOOではかなり離れていたし。。。と
縁とは変なものだな~と感じた出来事だった。
そのあとからいつも同じスタッフと看取りが多かった。
お礼奉公が済んで総合病院に勤務してからも
終末看護に出くわすことが多かった。
娘を妊娠中にも数えきれない。
ただ病院での看取りは最終的には延命装置を取り付け
自発呼吸が出た時に家族の同意を得て取り外して自然の死へ導くと
いう過程だった~。ホントウに延命機器を使わないで看取り看護を
知ったのは私の実の祖母の死の時である。
准看護婦になって2年目の秋(旧敬老の日)が祖母の命日である。
成人式の日に地元でも着物を着て成人式に参加して
祖母と一緒に撮った写真が最後の祖母の笑顔の写真
それが位牌の上の写真になっている。祖母の笑っている写真は
あの写真が本当にうれしいそうに蔓延の笑顔だった
と父が言っていた。看護学校に入学が決まったとき
祖母は私に「OO子が看護婦なるんかーと喜んでいた
看護婦になったら一番にオレ(方言で自分の事)を看取ってな~」と
言っていた祖母 本当に看取ってしまいました。まだできたての看護婦だった私は不器用な手つきでばっちゃの最期を看取り処置をしました。ちょうど私を取り上げてくれた産婆さんが次の日来てくれてアドバイスをしてくれました。その陰なのかな~看取り看護は苦になりません。人間に自然の姿に戻る時 その姿になる時に手をちょとだけかしてあげる。それが看取りなんじゃーないかな~と私は思います。
「3つ後の魂100まで」と言う言葉今ようやく理解できてきているきがします。
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