毎回業務を行っていて思うことだが、内視鏡検査が主な私がどうして、認知症病棟で管理者側が考えなければならないことをおこなわなければならないのかな~管理者の肩書があるわけではないのにな~
病棟に戻るたに下記のようなことを考えてしまう。あるHPでの記載されていたものだけど
このことを理解しながら看護と介護のコミュニケーションが成り立ってきていると思う反面
看護側の気分の変化や介護側のコミュニケーションなどで情緒を安定させて業務を遂行
させているのだろうか?
いつも感じることだが、一体私の存在を介護側はどう受けとめているのだろうか?週シフト
では介護にあてられているからどうしても 介護職の間ではただのお手伝いだから介護の
業務をやってもらえばいいんだろう???と受け止めている人が多いのかな?
看護と介護がいるのであれが、患者の世話は介護者側がやるべきなのは当然なのに
そんな簡単なことが理解できていない職員がいる。何とかならないものかな~
介護の業務もあまり年齢差のある人材を組み合わせるのもどんなものかな~
今の病棟は少しづつ上手く体制だできている途中なのに毎回人の入れ替わりがあると
スタッフ同士が大変になってしまう。仲良くなりすぎもほどほどなのではないか?
介護と看護の違いは?
介護の現場に入ってみて、改めて看護とはなにかを考えるよいきっかけになった。日常生活援助という点で、介護も看護も援助としては同じことを行なう。しかしその根底にある思想は大きく異なっている。現在、理想の上では両者の差異はなくなりつつある。しかし現状として大きな違いを感じた。
介護と看護に関わる興味深い話があった。特別養護老人ホームでは、必要に応じて入所者を一般の病院へ入院させることがある。そんなとき、これまでなかったなかった褥瘡ができて帰ってくるというケースがよくあるという。
なぜなのか? そこに看護と介護の根本的な思想の違いが関係しているように思えた。介護はあくまで日常生活援助である。施設であってもそこは利用者にとって「家」と同じで、なにより利用者の思いや安楽が優先される。
一方、病院での看護は、近年見直されつつあるとはいえ、やはり「療養上の世話」(保助看法第5条)が基本なので、利用者の安楽を考慮しつつも治療が優先される。つまり基本的に侵襲行為である「治療」と利用者の「安楽」を天秤に掛けて、安楽が二の次になってしまう。
注射をはじめとし、病院では苦痛を伴う行為が必要上行なわれている。それは看護の視点からは致し方ないこととはいえ、介護の視点ではあり得ないことなのかもしれない。利用者の苦痛に対して看護の方が感覚が鈍くなっているということはないだろうか?
通常であれば暴行と見なされる侵襲的な行為も特権的に医療従事者には認められている。看護者がより専門的な視点で利用者を見るのはよいことであっても、その裏には「ある程度の苦痛は致し方ない」という前提が隠れている。それに対して介護士は家族に近い同じ高さの目線で利用者を見つめる。
看護も介護も利用者の立場を考えるという共通項があると言われる。なのにさまざまな違いが現れているのは、そんな基本的な姿勢に関係があるのではないかと考えさせられた。
看護の視点は大切であるが、それより利用者の思いをダイレクトに受けとめる介護の視点をも考慮に入れて考えていく必要もあるだろう。
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